東日本大震災から9年
もう9年経ったのですね。
あれは本当に驚きましたが、うちには実害はありませんでした。
でも、いわき市に住んでいる弟一家は、放射能漏れのことがあり、
あの頃、一人っ子だった甥がうちに預けられることになりました。
3歳だった甥は可愛かったけど、親と離れて暮らす姿は不憫でした。
3歳児がこの状況を、分かるのか分からないのか分からない中で、
泣きもせずケロリと過ごしていたのに、
親が様子を見に来たとき、いつもは眠るお昼寝の時間に、
決して眠ろうとしなかったのがいじらしかったです。
また眠っている間に、いなくなってしまうのではないかと思ったのでしょう。
再び分かれて、弟夫婦も、車中ずっと泣きながら帰ったということでした。
未だ続く原発のことは、心配がないワケではありません。
半年後、とりあえず元の生活に戻って、その甥っ子も来春中学生になります。
あの頃のことは、揺れも含めてもう思い出したくないという気持ちと、
経験した者は、語り継がなければならないという気持ちがせめぎあいます。
多分、戦争を経験した世代も、そんな気持ちなのだと思います。
妙に懐かしそうに語るときもあれば、口を結んで「思い出したくない」と。。。
津波に飲み込まれて亡くなった人も多く、
それどころか、3,000人近くが行方不明です。
家族を亡くした人や見つからない人は、9年ぐらいでは悲しみが癒えないでしょう。
こうして3月11日を迎えるたびに、悲しみを驚きを恐怖を思い出すことが、
それこそが、災害対策のモチベーションになると思っています。
あれは本当に驚きましたが、うちには実害はありませんでした。
でも、いわき市に住んでいる弟一家は、放射能漏れのことがあり、
あの頃、一人っ子だった甥がうちに預けられることになりました。
3歳だった甥は可愛かったけど、親と離れて暮らす姿は不憫でした。
3歳児がこの状況を、分かるのか分からないのか分からない中で、
泣きもせずケロリと過ごしていたのに、
親が様子を見に来たとき、いつもは眠るお昼寝の時間に、
決して眠ろうとしなかったのがいじらしかったです。
また眠っている間に、いなくなってしまうのではないかと思ったのでしょう。
再び分かれて、弟夫婦も、車中ずっと泣きながら帰ったということでした。
未だ続く原発のことは、心配がないワケではありません。
半年後、とりあえず元の生活に戻って、その甥っ子も来春中学生になります。
あの頃のことは、揺れも含めてもう思い出したくないという気持ちと、
経験した者は、語り継がなければならないという気持ちがせめぎあいます。
多分、戦争を経験した世代も、そんな気持ちなのだと思います。
妙に懐かしそうに語るときもあれば、口を結んで「思い出したくない」と。。。
津波に飲み込まれて亡くなった人も多く、
それどころか、3,000人近くが行方不明です。
家族を亡くした人や見つからない人は、9年ぐらいでは悲しみが癒えないでしょう。
こうして3月11日を迎えるたびに、悲しみを驚きを恐怖を思い出すことが、
それこそが、災害対策のモチベーションになると思っています。