われなべにとじぶた [家族]

夫が数週間前、ふらふらするし、耳鳴りがすごい、吐き気がすると訴え、
まだ耳鼻科の主治医はいなかったし、土曜日の午前中ぎりぎりだったので、
他のことでお世話になっている内科医院にとりあえず行きました。

内科の処方で、吐き気は収まりましたが、その他の症状は治まりません。
その後耳鼻科に行ったのですが、「耳石が動いている」との診断でした。
内耳をはがれた耳石が動くから(耳の胆石みたいな?)目まいや耳鳴りがするのですって。
ところが、数週間、薬を飲んでもらちが明きません。

結局、耳鼻科の先生から大きな病院を紹介され、そこに行きました。
検査をした結果、突発性難聴と言われ、
土曜日に検査して、翌週の月曜日に入院ということになりました。

慌てましたよ。
日曜日に、入院に必要な物を揃えて、仕事を休んで入院手続きを手伝いました。
(今どきは、パジャマやタオル一揃いレンタルになるので、昔ほど大荷物にはならなかったです。 肌着を必要分揃えたり、上履きを調達したりでした)



その入院手続きの時ですよ。
ふらふら歩いている夫と、足を引きずる私。
もう、完全に「破れ鍋に綴じ蓋」です。

可笑しくなっちゃった。

まぁ、こうして2人年を取っていくのですね。
しょうがないのか。。。(笑)
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良いことが無いこともない [家族]

足腰の痛みは一進一退。

先月の中旬から、膝を痛めた時にすぐに直してくれた治療院に行っています。
ゴッドハンドです♪

そこの先生が、どうも病名をはっきり言ってくれないので、ふと調べてみました。
すると、治療院やカイロプラクティックは、資格が要らないので腕があれば誰でもできる。
逆に言えば診断や治療行為はしてはいけないとのこと。

「これは『坐骨神経痛』ですね」とは決しておっしゃいません。
「この神経が『坐骨神経』で、ここから足の先まで通じてるんだよ。
痛いのは足だけど、ここから治さないと、痛いままなんだ」
似たようなものですが、診断はしていないワケです。
で、結局、坐骨神経痛みたいです。

まぁそれはともかく、なかなか治りません。
人によっては、半年から1年かかるとか(-_-;)

毎日、夜は痛みで目が覚めて・・・というよりも、目が覚めるといつも痛くて、
寝返りをするのも悲鳴を上げながらです。。。


そんな中で、良いこともありましたよ。
ゴミ出しなどしたことのなかった夫に「重くて無理」と託すことが出来ました。
私が頼まなかっただけなんですけどね。

息子は、土日いつも出掛けていたのに、治療院に行く送り迎えをしてくれますし、
娘はもともと、月曜日から木曜日までご飯当番をしてくれていますが、
今まで以上に、いろいろなお手伝いをしてくれるようになりました。

お買い物は、家族の誰かに頼むとやってくれます。
牛乳やお肉、お米はもちろん重いですが、軽い小さなモノでも集まると重いのです。
今までは、一人でリュックに入れたり、エコバックで持ち帰っていたのが無くなって楽です。

頼んでみるもんだなぁと、今さらながら思います。
「私がやらなきゃ」と、どこかで思っていたのですね。

年も年だし持病もあるし、家族に協力してもらって無理せず暮らしていかないとね。
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結婚記念日のごちそうは [家族]

先日の結婚記念日・・・とは言え、
10月10日のことでしたが、ごちそうを載せます。

結婚記念日だというのになんとノープランで出かけ、
浦和伊勢丹のレストラン街で見つけた牛タンのお店に乗り込みました(笑)

もつもタンも、前の姿を想像すると食べられないという友人が居ますが、
そんなもん想像しちゃいけません。
牛タンなんか、たまにお肉屋さんでそのままのを売っていますが、
20cm以上あるソレを見たら、さすがに食欲は湧きません。

それに、牛さんも豚さんも鳥さんもお魚たちも、
生きていた姿を想像したら、可哀そうで食べられません。。。
ですから、決して想像してはいけないのです。


と、言い訳をしながら食べたのです、牛タン(笑)

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サラダに入った玉ねぎは、当然のように夫の器へ♪

塩味の牛タンは、柔らかくて美味しかったぁ!
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でね、私は服薬のせいでお酒が飲めないので、
デザート食べようと、杏仁豆腐を注文しました。

実は乾杯の時だけ梅酒を一口飲んで、後は夫に飲んでもらったのですが、
夫はそのあとも飲んだので、デザート無しね。


さて、お店の人が来て「デザートの杏仁豆腐ですが、
セットの小さいのしか無くなってしまったので、よろしければお2つどうぞ」

うーん、損なのか得なのか分かりませんが、とにかく2ついただきました。
ここで夫と1つずつとはなりません。
2つで1つぶんなんだから、私が両方いただきました(笑)
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とにかく美味しかった。
満足、満足。
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結婚記念日 [家族]

今日は結婚記念日でした。

えーと、34周年・・・かな。
1989年に結婚したから、あらま33周年だわ(笑)

例年通り、2人でディナー♪

乾杯!
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お料理はまたいつか載せます。

お店の人に、シャッターを押してもらいました。
若い時は父に似ているとよく言われたし、自分でも父にそっくりと思っていましたが、
この写真、実は母に似ていてびっくり。
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先月末ですがお誕生祝いに外食をいたしました [家族]

あっという間に1ヶ月も経っていました。
私と息子の誕生日が3日違いのため、合同でのお誕生祝いです。

子どもたちが小さいときは、よく「ケーキ一つ食べそこなってるよね」
と、不満を言っていましたが、しょうがありません(笑)

今は、もう大人ですのでそんなことは言いませんが。


あの頃は、まだ今ほどの感染数ではなかったので、
思い切って一家でサンマルクに行きました。


お誕生日のコースが2人で、夫と娘は基本同じ内容のコースです。
最後のデザートだけ、特別なのです。
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ごぼうの冷製スープから始まって、

サラダ
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鶏肉のテリーヌ
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これがボリュームがあって、味も良かったです。
私的には、これがメインでも良かった♪

メインは、お肉とお魚で選べましたが、お魚(鮭)にしました。
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さてデザートは、全員クレームブリュレ
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大きく見えますが、浅いお皿に入ってます(悪口じゃないですよ!)

そして、お誕生月の息子と私だけがこれ!
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ろうそくも灯してくれて、きれいです。

ピアノの生演奏があって、お誕生日の人はリクエストも出来ます。

「弾きますリスト」から、ショパンの「雨だれ」を選んだら、
後で「子犬のワルツ」もさりげなく弾いてくれました。
若いピアニストでしたが、気が利いてます♡

娘は、そのリクエストも見ていてよくわからないし、
気が張り過ぎるので、自分のお誕生日の時には別なお店が良いと言ってました(笑)

でも、みんなで食事出来て、楽しかったです。



久しぶりにアップしたら、疲れた~!(笑)

なんだかね、毎日投稿しているときは「今日のネタは・・・」と探せば、
まぁなんとかかんとかなっていましたが、今はなまけ癖がついてしまったようで、
「写真も無いし、ネタも無いし、寝る時間が近いから、今日はもういいか!」
という感じになってしまいます。

やはり、もう1時間あるのとないのは違いますね。
でも体力温存ですから、眠らないと♪
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お誕生日おめでとう [家族]

先日、夫のお誕生日でした。

日付が変わったとき、家族で「おめでとう!と言うと、
「また一つ年を取ったぁ」
と言うので、
「とりあえず『おめでとう』でいいの!」(笑)

私は、年を取ったと考えるよりも、
数十年前、自分が生まれた日を祝うという気持ちです。

両親が、祖父母が喜んでくれたであろうその日を、
素直に喜ばないとね。

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さすがに、プレートに名前を書いてもらうのは恥ずかしいので、
「おめでとう」のみです(笑)

オーソドックス過ぎるほどオーソドックスな不二家のホールケーキ。

そして、夫の好きなお寿司を食べて祝いました。


お互い、あと何年祝えるのか分かりませんので、
お誕生日は大切です。

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リピありです [家族]

2020年に妹が亡くなったとき、コロナ渦中でしたし、
葬儀屋さんに「なるべく小さく送り出したいです」と話しました。

この葬儀屋さんは、地元でずっと営業していて、
義父の時にお世話になったことがありました。

義母の時は、積立金(互助会)があったので、大手に頼みましたが、
義父の時の10分の一ほどの規模だったのに、同じぐらいの支払い金額でした。

お葬式って、一生のうちでそう何度も施主や、施主の家族などになりませんので、
比較対象が難しいですね。

それで、大手なら間違いないと思ったのに、ずいぶんとシビアであきれました。

そんなこんなで、妹の時は地元の業者にお願いしたのですが、
やはり、いろいろとお気遣いがあり、良かったと思いました。
大手は、全部システマティックになっていて、
下っ端と言ったら悪いけど、そういう方々には決められないことも多いのでしょうね。


で、今回の伯母の送り出しも、従姉妹の意向でその葬儀屋さんに頼みました。
そうしたらね、見積の段階で「リピート割引」みたいなのがあって、
「この部分は、以前お世話になったので〇〇円引かせていただきます」
という感じで進むのです。

まぁ考えてみたら、本当にリピートする人もけっこう少ないのだと思います。
「〇〇年に妹が、その10年ぐらい前に義父がお世話になりました」と言うと、
さっそく調べたらしく、そのように便宜をはかっていただいたのです。
言ってみるもんですね♪(笑)

細かい心遣いや、言葉や物腰もよく訓練されていて静かで誠実。
これは、リピありです。

って、リピ!?(笑)
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伯母追悼 [家族]

今日の早朝、伯母が亡くなりました。

98才、大往生と人は言いますが、残された者はやはりつらいです。

母の姉で、夫を早くに亡くしたので、その頃珍しい職業婦人でした。
女手一つで、長女で一人っ子の従姉妹を育てたのです。

それから、東京に居たのをうちの実家の近くに引き上げてきて、
行ったり来たり、それはもう私も可愛がってもらったし、
母もずいぶん心の支えになっていたと思います。

母が足腰がだめになって施設に入ってしばらくすると、
年のせいか、母となかなか会えなくなったせいか、少しずつ黄昏れてきて、
従姉妹は、さいたま市に伯母を連れて引っ越してきました。

その伯母が足腰立たなくなって施設に入ってからも、
従姉妹は実に足しげく通っていました。

普通ボケると表情が無くなったり、怒りっぽくなったりしますが、
伯母はニコニコと笑って、可愛いおばあちゃんになっていきました。

もう2年ぐらい前、従姉妹にくっついてその施設に行くと、
看取りについてのお話があり、老衰で何度か意識を失っては戻ってくる伯母が、
例え意識が戻らなくても、救急車で運んだり延命措置をしたりはしないで、
自然に見送ると言う、施設の方針を説明していただきました。

100才近いのですからそれでいいですと、従姉妹も認めました。



「その時」がとうとう来たのです。
今朝未明に亡くなったということです。

施設では、いつもよく面倒を診てくれていましたが、
最期を看取った人が、シフトは開けていたのに、
朝、私たちが駆けつけるまで待っていてくれました。

10年半ぐらい、お世話になったのです。

たくさんのスタッフに最敬礼で見送られて、伯母は施設をあとにしました。

さっぱりとした綺麗なお顔をして、伯母はかすかに笑っているようでした。



60才を前に亡くなった妹のことは、母はいまだに知りません。
でも、伯母のことは伝えようかと、従姉妹と話しました。
母よりも8歳も年上ですから、いずれはと母も覚悟していると思います。


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伯母さん、安らかに!
長いこと、お疲れさまでした(合掌)
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弟よ [家族]

昔、こんな歌謡曲がありましたね。


弟は、小さい頃はそれはそれは可愛い顔立ちで、色白で泣き虫で女の子のようでした。

9歳違いの妹と、さらに5歳上の私とで、可愛がったりいじめたり(笑)してました。

両親が夜になるといつも出かけてしまっていたので、
3人でそうやって過ごすしかなかったのです。

だから、14違いの私など、ほとんど小さいママみたいで何かと世話を焼いたものです。

実際、若い頃から老けて見えた私は、連れている弟のママによく間違われていました。

それが今では、私よりニ回りも大きく成長し(!)、
三児の父親として立派に家庭を営んでいます。

妹が亡くなった後も、いろいろと頼りになってくれました。

頼りになったと言えば、私が若い頃、ストーカーに追いかけられていたときも、
そいつの前に立ちふさがって、「うちの姉ちゃんに、なんか用かっ?」
と一喝してくれたら現れなくなった時がありました。

あのときは助かりました。
まだ「ストーカー」なんていう呼び名もない頃でしたが、
ひたすら不気味でしたから。。。


そんな弟も、私が65歳ですから、いつの間にか五十路です。

2月5日は、彼のお誕生日です。

おめでとう、弟よ。
2人で、マミの分まで長生きしようね♪
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一周忌 妹よ [家族]

お寺で一周忌の法要をしてもらう間、
お経を聞きながら思っていたのは、彼女の小さな時のことでした。

うちは、月命日にはほぼお墓参りをする家でしたので、
このお寺さんは、なじみがあります。

ご住職も、私たちが子どものころから成長を見ているので、
まほちゃん、まみちゃん、〇〇ちゃんと呼ばれます。

ご住職の息子さんも後を継いでいて、その人が弟と同い年なので、
今もいろいろ気軽に聞いたり、相談したりします。


そんな間柄なので、ちょろでおしゃべりだった妹は、
小さい頃、お寺の境内を駆け回り、興味があるモノは触りまくり、
和尚さんに何か聞かれても、へらへらしゃべる子でした。

境内で遊んでいるときに、うるさすぎて飼い犬に噛みつかれたこともあります。
以来、犬が嫌いな妹でした(笑)

今まさにご住職が叩いている、大きなおりんも、
ガンガンガンガンと、叩いていました。

中学生ぐらいまで、そんな子でした。

馴染のタクシーの運転手さんに
「あれ、まみちゃんいたんだね。静かだから、乗ってないと思った」
と、かなり大きくなってから言われたこともあります(笑)


そんな奴だったので、大人になってからも人懐っこく、
誰とでも仲良くなり、嫌われることがない妹でした。


お経を聞いているうちにそんなことを思い、じんわり涙が滲みました。


在りし日の故人に思いをはせる・・・これが本当の供養なのですね。



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