恩師

私には、忘れられない先生が居て・・・言わば恩師ですが、
それは、担任だった先生ではありません。

中学の時の、百人一首クラブ(必修)の顧問だった先生です。

ちょうど小学校6年生の冬、親に百人一首を教えられて、
面白さを覚えていたところでした。

小学校を卒業し、中学校に進むと、
必修クラブというのがあって、誰もがどこかに所属しなければならなかったのです。

さて、何をする?
と選ぶ段階で、どうも私は運動神経が無く(もしくは分断されていて)、
どう考えても、運動部を選ぶことはできませんでした。

ましてや、中学校に入ってすぐに、部活動の功績などを発表され、
そんな輝かしい部活が中体連などで活躍しているのに、
私などが入部して、足を引っ張ってはいけないと思いました。

それで、必修クラブの一覧表を見ていたら、
「百人一首クラブ」というのが目に飛び込んできたのです。

これだっ!
「渡りに船」と入りました♪(笑)

私の齧りかけの百人一首に火をつけてくれたのは、そのS先生です。
札の覚え方、意味、取り方、試合の楽しさ、嬉しさを教えてくれました。


S先生が必修クラブで百人一首を創設したのが、私が入学する前の年でした。

それが無ければ、私と百人一首のおつきあいは、
お正月にちょっとやるだけの、それも坊主めくり程度で、
一般の人程度のものになっていたでしょう。

でもS先生が、部員に教えるだけではなく、
運動部のように、他の学校の先生方や、高校のクラブなどに試合を申し込んでくれて、
あちこち他流試合にも出かけました。
(中学校にはなかなか百人一首をやる部活が無くて、試合できなかったのです)

中学生の柔らか頭は、どんどん吸収し、確か6人だけだった少数精鋭部隊は、
どこに行っても、勝ってしまいました。


S先生はどうしていらっしゃるのかなぁ。

年賀状で短い近況報告をして、
確か数年前までは、お返事をいただいていたのですが・・・。


私が中学生の時、S先生はおいくつだったのか?

先生の年齢って、ずいぶん上に見えませんでしたか?
自分が幼いせいもあるのでしょうが、すごいおじいさんだと思っていたら、
意外と40歳台だったと聞いて驚いたことがあります(笑)


でもまぁ、私が10代だったときに40歳としても今は90歳台?
いずれにしても、今はもう、相当なお年だと思います。
お元気でいらっしゃいますように!
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